2012年6月4日月曜日

G/W : 日記:crush Diary 2008/05‾08


2008/08
08/08/31
 日曜。まだ何やら体中がひりひりする。
回復のために外出は必要最小限にとどめて陽の光にあたらないようにし、時間を見て寝て過ごしている。 けれど、やりたい事もあるので風邪薬を飲みつつ画像をいじっていたら、またMac miniの具合がおかしくなった。

 キータイプの速度がまたゆっくりになって、普通の文書を打っているときでも演算処理能力の40百分率近く使って打ってる事に なっている。キーロガーとか仕込まれてないはずなんだが。と、思っていたら描画ソフトも使えなくなってしまった。 訳の分からない警告窓が開いて対応も出来ない。ディスクユーティリティで調べても異常はないみたいなんだが。 シマンテックのノートン先生がウイルス関係以外Macから撤退したのが痛い。強い味方だったんだけど。TecToolも使い勝手がいまいち。
しかたなく予備のMacにデータを移す準備をしている。時間浪費するなぁ。

…とか、軽く考えていたけれど意外と深刻。描きかけの画像ファイルとか、全部壊れてるし。なして?
スクリーンセーバーのままほったからして寝てただけなのに。それだよ。…ちがうな。なんでだ。全く。

……などと、青くなっていたら事態は更に深刻に。文書データも設定も全部壊れてるじゃないか。
運良く昨日バックアップしたファイルが残っているから、絵に関しては今日一日分の進展分が犠牲になっただけで済んだ。それはそれですごく痛いけれど…。 まさしく被害は最小で食い止められた。 偉いぞわたし、よくバックアップを取っていた。ああ、しかし目から汗がっ…。

08/08/29
 徹夜のアレがおもいのほか身体にこたえたらしく、夏風邪。
熱は出ない。身体がとにかくだるい。
そういや先週咳と鼻水が出てたなゴホゴホ。それだよ。
その上徹夜で運転。翌日以降、肩はこるはヒラメ筋の筋肉痛はとれないわ歯茎は腫れるわ…。
それでも「身体動かしゃ治る」とかバカ言って心拍供給率70百分率とか二日連続でローラー回してまさしく馬鹿でした。 普通体調悪けりゃ休むよね。はんせいしてます。 訓練休暇とることにしました。2週間くらい。てか風邪治って身体動かせるくらいになるのがそれくらいになりそうだよねーというくらいだるい。
5月頃急性腰痛症で2週間くらい休んだけど、故障中の休養は訓練休暇に数えてはいけないような気がする今日この頃。となるとこの2週間も別計算か。 とりあえず一週間こらえた。でも職場では他人目におかしく写ったに相違ない。週末寝て暮らそう。

 自転車生活一年と五ヶ月。
体重は72から73キロ。体脂肪率18から19百分率。骨格筋が少し増えたらしく、その影響でか見かけの脂肪率が下がっているらしい。 あれ?逆か?どっちか判らない。 しかし脂肪率はあんまり急に減らすのも良くなさそうだ。自転車愛好家(初心者)ではあっても 競技愛好家ではないのだし。体重もBMI23以下に減らす必要なしと考えている。とにかく(見せかけであったとしても) 今回1ヶ月かそこらで1百分率近く脂肪率が落ちたのが今回の夏風邪重症化の主な原因じゃないかと思う。 脂肪が落ちて内臓が冷えると免疫能力がかなり落ちるらしい。先週中頃の28度の低い気温と冷たく感じる風、 それなのに凍えるほど冷たい店舗内の空調も大きく関わっているであろうが。腹巻きをしておくべきだったか…。

08/08/26
 うとましいアレがやっと終わった。なんとかいう総合競技会。4年に一度とか言う。
普段は汚らわしいものであるかのように避けているくせに、こういうときだけ自国名連呼するのはどうかと思う。しかもどう聞いてもカタカナだし。 大体、普段世界平和を云々してるくせに、まるで他国が戦争相手の敵国みたいに言うんだもんな。聞き苦しい。背中で聞かされる身にもなってほしい。

 ちょっとした救いは、「熱狂していた」のは、そういう「報道関係」さんたちと、ごく一部の「マニア」さんたちだけだったらしい、ということだ。 それ以外の一般市民はしらけていたと。色々事情はあるだろうにしても、救いには違いない。
他人がヤルの見てるだけが楽しいなんて、趣味だったとしても理解しがたい所だ。運動競技でん、音楽でん、絵画でん、市民皆が自分自身でやってこその 文化やと思うとりますけん。おいは。

それにしても、終わったとたんこれかという報道もあり。アジアの後進国家って、考え方の基本が大東亜戦争時代そのまんまだよね。日本なら 国の威信にかけて独力で解決するだろうけどね。あの国じゃ人民には価値がないのか、あの程度じゃ軍は動かないらしい。子供の力で 爆弾から中身が漏れるほどいじるなんて話も不可解すぎる。爆弾を見たら逃げろ、って躾けないのかとは思うけど、運動遊具で指を切断するような 程度の話なのかな、某国では。

グルジ○、WTO関連で某国もきな臭すぎる。

08/08/24
 やむをえず深夜、約500キロの道のりを車で走るはめに。

 どこかでそのようなことが言われているのを読むか、聞くかしたのだと思うけれど、 こうして自分で走ってみると夜間の高速道が貨物トラックの独壇場であることは確かだと思う。彼らの数が一番多い。
自分は乗用車で走ったし、他の乗用車はわたしが運転するのよりも驚くほど早い速度で追い抜いて行った。私はむしろトラックと同じくらいの速度で走ったから トラックがどのように走っているか少しだけ判った気がする。 彼らはまるで自転車のロードレースのように集団で走っている。

 多くは2、3台で。多いときは5、6台が組んで。夜間、雨天(かなり強い雨が降っていた)、高速であることを考えると「ほとんど無いのでは」と 恐れを抱かざるを得ないほどの短い車間距離で彼らは走っている。多くは7、8m。怖いことに中には2、3mではないかと思われる車間もあるし、 割り込みもその間隔で行っているようだ。それほどの小さな車間で走るのは前の車を風よけに使って燃料消費を抑えているのだろうか? 彼らは職業的運転手だからそういう環境でも事故になることは少ないのだろう。でもあの速度で事故に遭うと高確率で死に至るなぁと思った。

 あと彼ら職業的運転手と言えど先頭を引くのは嫌らしい。
小さな自家用車であっても、いいスピードで追い抜いて行く車があればとたんに元気になって第一車線から飛び出してその自家用車を追って 行くのを何度も見た。 夜間走行、悪天候では、自分でペースを作るのはしんどかった。いいペースで引いてくれるペースメーカーになる車はいい車に見えたし。 そういう車がいない時、彼らはトラック同士交代で先頭を引いているようだった。先頭を交代しながら走る様は、 まるでチームタイムトライアルを見ているようだった。

 いずれにしても高速道走行は疲れる。そういう結論。
雨水のたまった轍の上を通るときや二台以上で連なって走る貨物トラックの横を走りぬけるときは特に。ふわふわタイヤのグリップが怪しくなるし、 風の具合が変になってトラックの方に吸い寄せられるように感じる。逆らって離れようとすると今度は路肩の方にふらふらと。路肩には (滑らないよう表面がザラザラに加工されているとはいえ)ペイントが敷かれているし、 荒れていたりゴミが落ちていたりで怖い。重心の高いワンボックスカーとかで 急なハンドル操作をしながら制動をかけたら高い確率で横転してゴロゴロゴロゴロって転がるだろうな、って思った。字で「ゴロゴロゴロゴロ」とか 書くとかわいらしいけど、最初の「ゴロ」で屋根部分がひしゃげて乗ってる人間の頭蓋か首の骨のどちらかがバッキリ折れて、後のゴロゴロゴロで 鋼鉄製の車がバラバラになるようなものすごくおとろしいゴロゴロだと思いました。高速道を車で走るときは死を覚悟せよ。

 無事走り終えることは出来たけれど、もう高速自動車道は御免だ。徹夜で走るなんてもうサイテー。なにより目がもうだめだ。

08/08/16
 今年のツールドフランス、結果が出てた。ケーブルも衛星も引いてないので、特報の雑誌でようやく知った。
ほうほう、あの人が黄色いジャージか…。かつて見た、とあるドキュメントDVDで「突如現れた期待の新人にエースの座を奪われてふてくされる風」の 後ろ姿が胸に迫って、「あん人、いつか勝てばいいのに」と思っていた人なので、うれしい。この結果なら生放送を見てても良かった…かも知れない。
(上記のDVD見てたときは「このチームの自転車かっこいいなァ」と思っていたけど日本じゃあまり流通してない会社のものらしく、加えて高価で、しかも 自分が競技自転車に乗り始めたばかりの頃で廉価版入門用完成車でも過ぎた買い物に感じたのに フレーム売りしかなかったのでとても手が出なかった記憶が。)

さあ、あとは…表彰台からドーピングさえ出てこなきゃあ、今年は編集版DVDが楽しみだ…。

08/08/16
 石油天然ガスなどの「化石燃料」が自然環境で形成された過程の仮説として、植物資源が化石化して出来たという説以外に「フィッシャー・トロプシュ」の 仮説というのがあるらしい。(←某雑誌記事から)Fischer-Tropsch合成法自体は戦前ドイツで開発された液体炭化水素の合成方法とネットにあった。 それと似た反応が深海にある熱泉で生じているかも知れないという。メタンハイドレートの生成過程のようなものなのだろうか?
 海底油田ガス田の方はそれで説明付いた(いまだ仮説の一つらしいですが)としても、現在砂漠になっている地域のはどうなるんだろう。 現在の砂漠地帯が過去海底にあったというのだろうか?そもそもこの仮説は火山帯においてのみ発生しうる仮説なのではないのか?
 後石炭は?オイルサンドは?それぞれに形成された過程が異なるのだろうか…? 

08/08/14
ちなみに(ちなむな!)野菜生活です。リットル売りの。一日一杯。

08/08/07
 …なんで高校野球ごときが夜間照明つけてやってるんだよ!
昼間にやれよ!電気もったいないだろう!その電気でアフリカの子供が何人助かると思ってるんだ!(←たてまえ)
おれは羊のショーンが見たいんだよ!!!(←ほんね)

 いつからこんな風なんだろう。パソコン用のワンセグ受信機つけてからようやくテレビ見るようになったので、今年以前のことは知らない。

2008/07
0 8/07/23
 日中2リットル以上の水分を口にしてもトイレに行く回数がむしろ少ない日々。やばい。まだもっと飲めというのか。というかミネラル系のサプリ飲んでないと やってられない気がする。汗がだだ漏れになる。時間決めで食べないと、腹すら空かなくなるというのがいい事なのか悪い事なのか。

2012年6月2日土曜日

この先、こんなに楽しいことが待っている!―ファースト・コンタクト・チームより - ハートの贈りもの―2012アセンション


The 2012 Scenario のラジオ番組、「Our Galactic Family」で行われたインタビューを、ご紹介します。

4月2日と、少し前のインタビューです。とても面白い、わくわくする内容なので、ぜひ皆さんにご紹介したいと、ずっと思っていたものの、何しろ長くて。。笑) でも何とか、抜粋ですが、翻訳したので、アップします。

ディスクロージャーの後に何が起こるのか、どのようにスター・ファミリーやシップが我々に紹介されるのか、驚愕のプランが明らかにされます。

これから夏・秋にかけて、すっごくすっごく楽しみですよ〜! 少々長いけど、明るい未来で波動が上がるので、最後まで楽しんでね。では、Go !

(注: 翻訳していない前半部分に出てくるのですが、彼の話の中の「バルカン・ウーマン」と呼ばれる女性は、彼のコンタクト・ソースとなっているスター・ファミリーです。)

要約:  今週のゲストは、「金星出身のスター・シード、ヒューマン(Hugh-man)」で、初めての公開インタビューです。彼は、地球人の身体を持ち、プレアデスのファースト・コンタクト・チームの地上要員として働いています。

彼の仕事は、スターファミリーと地球人類の間の橋渡しで、連絡役、教育担当でもあります。ディスクロージャー後に、彼はテレビで、楽しいリアリティ・ショーを受け持つことになっています。その番組では、スター・ファミリーを地球人類に紹介したり、人々をスペース・シップの試乗� ��案内したり、フリーエネルギーのデバイスのお披露目も行われます。人類にプレゼントされるデバイスには、宇宙のフリーエネルギーを動力源として反重力で動く無輪の乗り物や、自動翻訳機能とホログラフィック映像のついたコミュニケーション・デバイスが含まれるということです。

また、彼は、マザーシップ・ネプチューン号に、地球人類が最近、訪問したことも証言しています。

さらに、3次元から5次元への移行、炭素ベースからクリスタルベースの身体への変化、DNA の完全活性化、若返りについても話します。また、ジーザス(イエス様)にも会ったそうです。

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中略

GD:  コンタクト・ミッションのチームから、君が学んだことは、彼らは地球上の出来事をビデオのように記録するテクノロジーを持っているということだよね。それが、闇の奴らの逮捕とどう関係するんだろうか?
H:  上空のシップから、彼らは TV カメラのようなもので、屋根も天井も通り抜けて、地球上のどのビルのどの部屋も、ペンタゴンが誰も盗聴できない最も安全な部屋だと考える場所でも、中の映像と会話を記録できるんだ。実際、彼らは地下の軍事基地の会話も記録している。隠れられる場所はないんだよ。

彼らは、奴ら全員を見ることができる上、奴らと一緒にいるガイドや守護天使たちが、テレパシーで連絡してくれる。地下基地やペンタゴン、製薬会社のオフィスで、自分たちだけの内密の話をしていると思っても、その者たちの守護天使やガイドが、見張っているこちらの者とコミュニケーションを取ってくれるんだよ。

GD:  そして、彼らは、そのすべての記録を残しているんだね?

H:  地球の歴史のアーカイブを持っているよ。地球の本当の、正確な歴史、映像記録だ。ハイデフ(高精細度)の。もうすぐ明らかにされる。

GD:  形は違うようだが、アカシック・レコードと似ているね。

H:  アカシックから来ているよ。でも、僕の役割から言えば、それは、cosmic candid camera(CCC; 宇宙のありのままカメラ)で、上空のシップが提供する、この春から始まる新しい TV 番組、スペース遊園地なんだ。僕がハイキング道で、ドライブの途中で、スーパーマーケットで、出会ったすべての人たちとその時に交わした会話が、シップで記録されている。そして、この春、夏、秋にかけて、CCCに登場するのは誰だと思う? その人たち全員なんだよ。

GD:  ほう。

H:  彼女(ヒューの交信者)は言った。「アメリカ人、地球人がリアリティ・ショー、TV ショーを大好きなのを知ってますから。」「彼らは中毒になってますね。」だから、楽しいことになるよ。CCCで自己紹介をするんだ。TV スタジオは、コミュニケーション・シップのどれかに置かれる。放送が始まれば、僕はそこで働く。

GD:  それで、リスナーに話してほしいんだけど、君は多くの場所を回って、人々との出会いを楽しんできたんだね。何をしてきたの、地球をどのように回ったの? 今、世界で起きていることや、スター・ブラザー・シスターについて、人々とどんな話をしてきたの? それが全部、このリアリティー・TV ショーの素材になるんでしょ。

H:  8月始めから、26州を旅して回ったよ。車と白馬の中間を持ってるんだ。

GD:  バイクのことだね。

H:  ああ。8月から、延べ 37000マイルだ。

GD:  わお。

H:  国立公園、州立公園、滝、ハイキング道。高速の出口から降りると、コンビニ兼用の小さなガソリンスタンドがある。そして、誰かに出会う。テレパシーで誘導されているように、カウンターの店員とかね。80年代半ばから、僕は自分たちのことをジョークで、宇宙候補生と呼んでいる。スター・ソウル、スター・シードを。実際、1年かそこら後に、バルカン・ウーマン(ヒューの交信者)に、僕がある人たちについて、スター・シードかどうか尋ねた時、彼女は、「ええ、ヒュー、彼は宇宙候補生ですよ。」と答えたから。

GD:  君は、彼らのエネルギーとか波動を感じ取って、ぴったりの人に出会うの?

H:  プレアデス人。彼らは、僕には馴染みのないエネルギーを持っているから、だんだん、プレアデス人のエネルギーがわかるようになってきた。

GD:  地球人で、スター・シード、スター・ソウル、君は、すぐに気づくかい?

H:  その声、あるいは、直接会った時には、最初のアイ・コンタクトでわかる。それは、彼らから僕に向かって、虹がかかるようなものだ。だって、すべての知識は自分たちの中にあるのだから。僕が知っていること、僕が気づいていることを、彼らのソウルも知っている。だから、こんな感じだよ。「ハイ、調子はどう? 会えてうれしい。僕も、仲間の一人だよ。また、会うことになるよ。知っての通り、2ヵ月後、6ヵ月後、10年後、あるいは15年後に。」 そして、彼らは、僕が誰だか覚えている。

2012年6月1日金曜日

Alibaba Manufacturer Directory - Suppliers, Manufacturers, Exporters & Importers


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2012年5月30日水曜日

摂食・嚥下障害のリハビリテーション|慶應義塾大学病院 KOMPAS


せっしょく・えんげしょうがいのりはびりてーしょん

概要

「食べる」という行為は、生命維持に必要な栄養を取り入れる、味を楽しむ、食事の場面を通じてコミュニケーションを楽しむなど、私たちの生活においてとても大きな意味を持ちます。「食べる」ことは、脳にある摂食中枢と嚥下中枢からの指令で口や喉を動かして、外部から水分や食物を口に取り込み、胃へ送り込むことで、これを「摂食・嚥下」の運動といいます。この運動に支障を来すのが摂食・嚥下障害であり、食物を飲み込もうとすると気管へ入ってむせてしまう、食道へ入っていかず喉に残ってしまう、というような症状が特徴的にみられます。原因としては、脳卒中やパーキンソン病などの神経や筋肉の病気、あるいは舌・咽頭・喉頭癌などがあります。
摂食・嚥下障害で生じる問題は肺炎・窒息・低栄養・脱水な� �生命の危険に直結する、とても深刻なものばかりです。また、食べることの障害は、医学的リスクだけでなく、食べる楽しみを失うという生活の質(QOL)の観点からも重要になります。
摂食・嚥下リハビリテーション(以下リハビリ)では、患者さんが安全かつ楽しく生活できるよう、栄養摂取の方法を確立することを目指します。患者さんに合わせた食事や栄養摂取のスタイルを確立することが、嚥下リハビリの最大の目標です。

症状

摂食・嚥下の5期モデル

摂食・嚥下は、先行期、口腔準備期、口腔送り込み期、咽頭期および食道期の5つのステージに分けられます。これを摂食・嚥下の5期モデルといいます(図1)。

図1 摂食・嚥下の5期モデル
放送大学教材 リハビリテーション(放送大学教育振興会、2007年)から引用

誤嚥

誤嚥とは食道に送り込まれるべき食塊や水分が何らかの原因で声門を越えて気管や気管支に入ってしまった状態を意味します。誤嚥をした場合、通常は激しくむせて誤嚥物を喀出しようとする防御機構が働きます。これを顕性誤嚥といいます。しかし、気管の感覚低下などにより誤嚥してもむせや咳嗽などの反応がない場合もあります。これを、不顕性誤嚥といいます。不顕性誤嚥では外見上、誤嚥しているか否かが判断できないため、誤嚥性肺炎のリスクが高くなります。

摂食・嚥下障害の原因

嚥下障害の原因は、器質的(解剖学的)障害と機能的(生理学的)障害の2つに大きく分けられます。また、加齢にともなう機能低下も影響します。

2012年5月18日金曜日

ニキビにおすすめの美顔器


ニキビが出来ている肌にとって大切なケアは、毛穴を開いて中の皮脂や汗、メイクの汚れを取り除くとともに、肌の表面に残っている古い角質を取り除くケアが必要です。

そのためにおススメの美顔器をご紹介しましょう。

・イオン美顔器 イオン導入タイプの美顔器は、毛穴の中に詰まっている古い角質や皮脂や汗、そしてメイクの汚れなどをイオンの力によって取り除く事が出来ます。

2012年5月16日水曜日

もしプルーンどこから来たプルーンジュースは脱水、梅、何ですか? - Exposix


彼らは液体を水分補給プルーンは外出し絞る。ええ、それは愚かなように思えるが、それが、絞り梅のうちジュースだけあなたはそれができる場合に比べばに風味を異なる。


で答える Tonchi 1 1カ月前

ハ!それはおかしい。あなたはプルーンを食べている場合でも、それがまだいくつかの水分を知っている。だから、彼らはおそらくピューレ、それを得るためにプルーンを痛めると思います。そして、誰もそれを彼らは"オールド枯れたプラムジュース"と呼ばれる場合買うでしょう。


/ \ |私はジュースだと思います氏キャピトル男はプルーンの質問がある答えたあなたの素晴らしいです行く!


で答える Tram 1 1カ月前

で答える Joesph 1 1カ月前

2012年5月15日火曜日

アメリカ合衆国 - Wikipedia


アメリカ合衆国
United States of America
国の標語: E pluribus unum(1776年 - 現在)
(ラテン語: 多数からひとつへ)
In God We Trust(1956年 - 現在)
(英語: 我ら神を信ず)
国歌: 星条旗
  1. ^ 州単位では27州が英語のみを、3州が英語に加えて別の言語を公用語に定めている。
  2. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1])

この表のデータは、50州とワシントンD.C.のみで、属領を含まない。

アメリカ合衆国(アメリカがっしゅうこく、英語: United States of America)、通称アメリカ米国(べいこく)は、北アメリカ大陸および北太平洋に位置する連邦共和国である。

イギリスの北米植民地が1776年7月4日に独立を宣言して成立した国家で[1]、独立宣言において全ての人民の権利と平等をうたい政府をその保障手段と明確に位置づけ、かつては奴隷制のような矛盾を抱えつつも、ロックらの人権思想を理念的基盤として歩んできた歴史を有する。少数のネイティブ・アメリカンと呼ばれる先住民以外の国民は、主にユーラシア大陸からの移民もしくはアフリカ大陸から奴隷貿易によって強制連行された者の子孫である。そのため、その母体になった国々や、その他多くの国家の特徴を経済的、政治的、軍事的、そして文化的にも合わせ持っている。資本主義、自由主義、民主主義、共和制、大統領制、二院制を採用している連邦国家の1つである。

国土は、北アメリカ大陸中央部の大西洋と太平洋に挟まれた本土(48州と連邦政府直轄地である首都ワシントンD.C.)、大陸北西部のアラスカとアリューシャン列島(アラスカ州)、太平洋のハワイ諸島(ハワイ州)。さらに本国の他に、プエルトリコやグアム島などの海外領土を領有する。アラスカとハワイを除く本土は、北はカナダ、南はメキシコと隣接。アラスカ州はベーリング海峡を挟んでロシアと接する。

国名

正式名称は、United States of America。通称は、United States。略称は、U.S. または USA。口語では America または The States と呼ぶ場合もある。

日本語での正式名称は、アメリカ合衆国。通称は、アメリカ合衆国(合州国)(がっしゅうこく)、米国(べいこく)など。幕末や明治初期にはアメリケンメリケン)と呼ばれた。American の発音がそのように聞こえたためと考えられる[2]。このため、メリケンの漢字表記「米利堅」の最初の一文字を取って米国と略称され始める。ただし、日本語でのより一般的な漢字表記は亜米利加であり、これが由来だとする説もある。中国語や韓国語では「美国(미국)」と表記される。「美国」より以前には「花旗国」と呼ばれベトナム語でのアメリカの呼称である「Hoa Kỳ」は「花旗」の音読である。これはアメリカの国旗(星条旗)を見た中国人が、そのデザインを気に入り「花のように美しい旗の国」と表現したためである。たとえば1902年に上海に支店を出したシティバンクは花旗銀行と呼ばれている[3]

国名の America は、アメリカ大陸の名、すなわち、イタリア人の探検家アメリゴ・ヴェスプッチのラテン語名から付けられた。その詳細については、アメリカ州を参照のこと。日本語の「合衆国」という表記の由来や意味については、合衆国を参照のこと。「アメリカ合衆国」の代わりに、より正確な訳であるとして「アメリカ合州国」を使用する人たちや「連邦政府」という呼称があることから「アメリカ合衆国連邦」と呼ばれることもある。

歴史

「新大陸」の「発見」

イタリア(ジェノヴァ)人のクリストファー・コロンブスはスペイン女王イサベル1世の承諾を受け、大西洋周りによるアジア諸国への到達を志したが、1492年に現在の西インド諸島にたどり着いた。当初は、東アジアの一部と考えられていたが、現在の大陸名の由来ともなるイタリアの探検家アメリゴ・ヴェスプッチの主張を元に新たな大陸とされた。その後、ドイツの地図製作者マルティーン・ヴァルトゼーミュラーがアメリカ大陸と命名。その名が定着していった。

これをきっかけに、ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸への入植が始まった。イタリアのジョン・カボットが北アメリカ大陸の東海岸を探検し、イギリスがニューイングランド植民地の領有を宣言し、フランスもジャック・カルティエがセントローレンス川を探検した後、その一帯をヌーベルフランス植民地とするなど、南北アメリカ大陸の探検と開拓の歴史がはじまった。

後にアメリカ人は「明白な天命(マニフェスト・デスティニー)」をスローガンに奥地への開拓を進め、たとえ貧民でも自らの労働で土地を得て豊かな暮らしを手に出来るという文化を形成して「自由と民主主義」理念の源流を形作っていった。その成功が誇張も含めて旧大陸に伝わり、さらに各地からの移民を誘発する事ともなった。それは同時に先住民であるネイティブ・アメリカンと協調・交易したこともあったが、虐殺、追放して彼らの土地を奪っていったことも伴っていた。[4]

アメリカ独立

北米大陸がヨーロッパ諸国の植民地支配を受ける中、イギリスと13植民地との間で経済・租税措置をめぐり、対立が生じた。1775年にアメリカ独立戦争が勃発すると1776年に独立宣言を発表し、イギリス優位を崩すためにフランスと同盟を締結した。13植民地が勝利すると1783年にパリ条約が結ばれ、「アメリカ合衆国」として正式に独立し、独立した13州に加えてミシシッピ川以東と五大湖以南をイギリスから割譲された。

1787年9月17日には、連合規約に代えてさらに中央集権的な合衆国憲法が激論の末に制定される。1789年3月4日に発効され、同年に初代大統領として大陸軍司令官であったジョージ・ワシントンが就任した。

アメリカは、自由と民主主義を掲げたことから、当時としては珍しい民主主義国家であった。しかし、アフリカ大陸から連れてこられた奴隷やアメリカ先住民の権利はほとんど保障されなかった。結果、奴隷制度と人種差別が独立後のアメリカに長く残ることとなる。

西部開拓と南北戦争

北西インディアン戦争勝利により、1795年に北西部を手に入れる。未開の地であった西部の勢力拡大を目指し、1803年のフランス領ルイジアナ買収を行なった。しかし、イギリスが西部開拓を阻んだため、1812年に米英戦争が勃発するも1814年にガン条約を締結して事態は収拾し、西部進出を進めていった。入植時から続いていた先住民との戦争を続けながらも、1819年のスペイン領フロリダ買収、1830年のインディアン移住法によりインディアンを西部に移住させると、1836年のメキシコ領テキサスでのテキサス共和国樹立と1845年のアメリカへの併合、1846年の米墨戦争によるメキシコ割譲により、西海岸にまで領土は達した。現在のアメリカ本土と呼ばれる北米大陸エリアを確立したのである。

この頃から遠洋捕鯨が盛んになり、太平洋にも進出を始めた。1850年代、鎖国状態だった日本へ食料や燃料調達のために開国させることを目的に米軍艦を派遣。二つの不平等条約を締結し、開国させた。以後、アジア外交にも力を入れるようになっていく。

1861年、奴隷制廃止に異を唱えて独立宣言を発した南部の連合国と北部の合衆国の間で南北戦争が勃発し、国家分裂の危機を迎えた。これを受けて1862年にエイブラハム・リンカーン大統領によって奴隷解放宣言が発表され、1865年に南北戦争は合衆国の勝利で終結し、連合国は解体された。だが、法の上でのアフリカ系アメリカ人や先住民など、その他の少数民族に対する人種差別はその後も続くことになる。

南北戦争後、鉄道網の発達と共に本格的な西部開拓時代に突入した。19世紀後半には、鉄鋼業や石油業が繁栄し、アメリカ経済が大きく躍進した(金ぴか時代)。エジソンなどの発明家によって、白熱電球や電話など、現代文明に欠かせない発明が次々に行なわれ、黄金時代を迎える基礎を築いた。

海外進出と世界恐慌

南北戦争後も諸外国との戦争などを通して、海外領土の拡大が続けられた。1867年には、アラスカをロシアから購入し、1898年にはハワイ王国が併合され、スペインとの米西戦争に勝利してグアム、フィリピン、プエルトリコを植民地にし、キューバを保護国に指定した。これにより、現在の北米・太平洋圏でのアメリカ領土が確立した。1899年-1913年にかけてフィリピンを侵略。米比戦争を行い数十万人のフィリピン人を虐殺し独立を鎮圧する。1900年には義和団の乱平定に連合軍として清に派兵する。1910年代から外国人土地法を徐々に施行し、有色人種に対する締め付けを強化した。1914年にヨーロッパで勃発した第一次世界大戦では当初中立を守る一方、1915年にハイチ、1916年にドミニカ共和国に出兵して占領し、軍政を敷くなどの� �半球における権益確保政策を採った。ルシタニア号事件などの影響もあり、次第に連合国(イギリス、フランス、イタリア、日本など)に傾き、1917年には連合国側として参戦した。1918年には共産主義の広まりを警戒してシベリア出兵を行なった。

大戦後は、1919年のパリ講和会議でウッドロウ・ウィルソン大統領の主導によって国際連盟設立と人種差別撤廃案阻止[5]に大きな役目を担ったが、モンロー主義を唱えてヨーロッパへの不干渉およびラテンアメリカに対する権益を維持しようとする上院の反対により連盟への加盟はしなかった。しかし、他の戦勝国とともに5大国の一員として注目されることになる。国内では首都ワシントンを始めとする多くの都市でレッドサマー1919などの人種暴動により数万人が死傷者した[6]。1924年には排日移民法を施行するなど人種差別政策を強めていった。1927年に出兵していたニカラグアでサンディーノ将軍に率いられたゲリラが海兵隊を攻撃したため、1933年にアメリカ軍はニカラグアから撤退し、従来の政策から善隣外交(Good Neighbor policy)に外交政策をシフトした。

続く1920年代のバブル経済に基づく空前の繁栄「轟く20年代」(Roaring Twenties)が起こるが、1929年10月29日ウォール街・ニューヨーク証券取引所で起った株の大暴落「暗黒の木曜日」がきっかけとなり、1939年まで続く世界恐慌が始まった。この世界恐慌によって、労働者や失業者による暴動が頻発するなど大きな社会的不安を招いたが、フランクリン・ルーズベルト大統領のニューディール政策により経済と雇用の回復をめざしたが1930年代末期まで経済も雇用も世界恐慌以前の水準には回復せず、第二次世界大戦の戦時経済によって世界恐慌以前の水準を上回る、著しい経済の拡大と雇用の回復が実現された。一方でドイツ、イタリア、日本などで軍国主義やファシズムが台頭し始め、後に起こる第二次世界大戦の引き金になっていった。

第二次世界大戦

1939年9月にヨーロッパで第二次世界大戦が始まると、中立政策は維持していたものの、1941年にはレンドリース法の施行により、イギリス・ソビエト連邦・自由フランス・中華民国に大規模な軍需物資の支援を行った。1941年12月には、日本による真珠湾攻撃が行われ、イギリスやソ連などが中心となって構成された連合国の一員として参戦した。開戦後まもなく、日系アメリカ人や南米諸国の日系人のみを強制収容所に連行した(日系人の強制収容)。日系人男性はアメリカ兵として忠誠を示すために戦った。日本海軍機によるアメリカ本土空襲などの、数回に渡る西海岸への攻撃はあったものの、本土への被害はほとんどなく、事実上の連合諸国への軍事物資の供給工場として機能し、併せて日本やドイツなどの枢軸国との戦闘でも 大きな役割を果たした。1943年頃からは、ヨーロッパや南太平洋において本格的な反攻作戦を開始し、ドイツや日本に対する戦略爆撃・無差別爆撃を実施した。東京大空襲では推定約14万人死傷した。

1945年8月には、イタリアやドイツなど枢軸国からの亡命科学者の協力を得て原子爆弾を完成。同年、世界で初めて一般市民を標的に日本の広島と長崎に投下し推定約29万人が殺害された。1945年5月にはドイツが、続いて8月15日には日本も降伏し、第二次世界大戦は終戦となった。GHQ参謀第2部(G2)部長であったチャールズ・ウィロビーアメリカ陸軍少将は日本を「征服」したと述べている[7]

第二次世界大戦以前は非戦争時にはGDPに対する軍事費の比率は1%未満~1%台で、GDPに対する軍事費の比率が低い国だったが、第二次世界大戦で史上最大の軍拡(後述)を行い、著しい軍事偏重状態になり、軍産複合体が政治に影響力を行使するおそれがあると批判されるようになった。

連合国の戦勝国の1国となった上に、主な戦場から本土が離れていたことから国土に殆ど被害を受けなかった。戦勝国として日本の信託統治領であったマーシャル諸島、マリアナ諸島、カロリン諸島などの太平洋の島々を新たな信託統治領として手に入れるとともに、占領国や進駐国に大規模なアメリカ軍基地を造り、共産圏を除く世界を影響下に置くこととなった。1946年からマーシャル諸島でクロスロード作戦などの大規模な原水爆実験を繰り返して核大国としての地位を固める。

以後、世界最強の経済力と軍事力を保持する超大国として、「自由と民主主義」の理念を目的もしくは大義名分として冷戦期及びそれ以後の外交をリードする事になる。

ソ連との冷戦

第二次大戦後は、連合国として共に戦ったソ連との冷たい戦争が始まった。一時、ジョセフ・マッカーシー上院議員らに主導された赤狩り旋風(マッカーシズム)が起きるなど、世論を巻き込んで共産主義の打倒を掲げた。

冷戦においては、ソ連を盟主とした共産主義陣営に対抗する資本主義陣営の盟主として、西ヨーロッパ諸国や日本、韓国、台湾などに経済支援や軍事同盟締結などで支援した。朝鮮戦争ベトナム戦争、グレナダ侵攻など世界各地の紛争に介入している。核兵器の製造競争などもあり、ジョン・F・ケネディ大統領の時にソ連との間でキューバ危機が起こるなど、核戦争の危機も度々発生した。

冷戦中に「自由と民主主義の保護」の理念を掲げたが、国益追求も一つの目的でもあった。実力行使で理念と矛盾する事態すら引き起こし、ベトナムへの介入は西側、東側諸国を問わずに大きな非難を呼び、国内世論の分裂を招いた。「反共産主義」であるという理由だけでアジアやラテンアメリカ諸国をはじめとする世界の右派軍事独裁政府への支援や軍人に対してもパナマの米州学校で「死の部隊」の訓練を行なった。こうして育てられた各国の軍人は母国でクーデターを起こし、母国民に対して政治的不安定と貧困を与える結果となっていった。

同時に、大戦の後遺症に苦しむ西欧諸国や日本、韓国、中華民国など同盟国への支援と安全保障の提供は、経済成長をもたらす一因ともなって東側との大きな生活水準格差をうみだし、後に東欧革命の原動力の一つになった。

人種差別と公民権運動

「民主主義国家」を標榜するアメリカであったが、1862年の奴隷解放宣言以降や第二次世界大戦後に至っても南部を中心に白人による人種差別が法律で認められ、一部の州では結婚も禁止している人種差別国家でもあった。1967年まで16州で白人が非白人と結婚するのを禁じていたが、アメリカ最高裁判所が異人種間結婚を否定する法律を憲法違反と判断した[8]。1960年代にはこの様な状態に抗議するキング牧師を中心としたアフリカ系アメリカ人などが、法の上での差別撤廃を訴える公民権運動を行なった。これらの運動の結果、1964年7月にリンドン・ジョンソン大統領の下で公民権法(人種・宗教・性・出身国による差別禁止)が制定された。

しかしその後も差別撤廃のための法的制度の整備は進んだものの、現在に至るまで先住民やユダヤ系移民、非白人系移民とその子孫(アフリカ系、ヒスパニック、日系など)などの少数民族に対する人種差別問題は完全には解消していない。それは就職の際の格差等から、警察官が人種を理由にアンフェアな扱いをしたといった問題としてロス暴動のような大きな事件の原因となる事すらある。アフリカ人への奴隷貿易や先住民虐殺については、連邦政府としては未だに謝罪をしていない。

2012年に至ってもアジア人蔑視の風潮が続いている[9][10]

貿易赤字と世界の警察

石油ショック以降の原油の値上がりによって基幹産業の1つである自動車産業などが大きな影響を受け、1970年代以降は日本などの先進工業国との貿易赤字に悩ませられることとなる。

1980年代に入ると、日本との貿易摩擦が表面化し、議員がハンマーで日本製品を壊すという現象(ジャパンバッシング)も生まれた。近年は、中華人民共和国に対する貿易赤字が膨張している他、インドなどへの技能職の流出が問題となっている。

1989年の冷戦終結と1991年のソ連崩壊によって、名実共に唯一の超大国として「世界の警察」を自認し、アメリカ中心の世界(パクス・アメリカーナ)となっていった。その後も日本、韓国、サウジアラビア、ドイツなど国外の戦略的に重要な地域に米軍基地を維持し続け、パナマ侵攻や湾岸戦争など各国の紛争や戦争に介入した。

経済のグローバル化や冷戦時代に軍事用として開発されたインターネット・ITが民間に開放され、流行した。1992年からの民主党政権下では、ITバブルと呼ばれる程の空前の好景気を謳歌した。

テロとの戦い

21世紀になったばかりの2001年9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件を境にして世界の情勢は劇的に変化し、各国間の関係にも大きな変化がおこるきっかけとなった。同年、ジョージ・W・ブッシュ大統領は、テロを引き起こしたとされるアルカーイダをかくまったタリバーン政権を攻撃するため、10月にアフガニスタン侵攻を開始した。米国愛国者法が制定されたが、これをきっかけにアメリカは、警察国家の様な傾向があると言われている。

2002年には、イラン、イラク、北朝鮮を「悪の枢軸」や「テロ支援国家」と名指しで非難し、世界規模での「テロとの戦い」を宣言した。2003年3月には、イラクをテロ支援と大量破壊兵器保有を理由にイラク戦争に踏み切ったが、大量破壊兵器は見つからず「石油を狙った侵略行為」と批判する声があがった。

2005年には、テロ対策を目的に連邦情報機関が大統領令に基づき、具体的な法令的根拠・令状なしに国内での盗聴・検閲等の監視を行えるようになった。しかし、報道の自由やプライバシーの権利に違反するとして批判の声もあがっている。